ドラマや映画だけでなく、2022年1月からは『ぐるナイ』のゴチメンバーとしてバラエティ番組でも活躍する 高杉真宙(たかすぎまひろ) さん。
透明感ある繊細な見た目とは裏腹に、2021年4月には個人事務所を立ち上げ【社長】の顔を持つ、骨太な一面もあります。
そんな高杉真宙さんについてまとめてみました。
高杉真宙のプロフィール
- 本名:大野 真宙 (おおの まひろ)?
- 生年月日:1996年7月4日 (25歳)
- 出身地:福岡県
- 身長:170cm
- 血液型:A型
- 兄弟:弟2人
- 学歴:福岡市立老司中学校 → 東京の中学校(不明)、日出高校
本名や兄弟のこと
高杉真宙さんは、福岡県出身で両親を男ばかり3人兄弟の長男として生まれ育ちました。
【真宙 まひろ】という名前は芸名のようにも思えましたが、こちら本名だそうです。
ご本人のブログで、その命名の由来を語っていました。
◎真宙の名前の由来は?
引用元:高杉真宙オフィシャルブログ
真実の広い心を持った子に育つように
っだそうです。
僕も最近、初めて知りました。
苗字の【高杉】は事務所がつけてくれた芸名だそうで、本名は【大野】という説が有力です。
母親や兄弟との仲は悪くないのですが「あまり連絡を取り合わない」と2021年12月出演のA-Studioで明かしていました。
鶴瓶さんも「家族からほとんどエピソードが取れなかった」と嘆いていたぐらい。
出演作の感想など一度も言われたこともないし、弟たちは自分の兄が「高杉真宙」であることを周囲にも言っていないそうです。
高杉真宙さん自身も、家族に現住所も知らせていないとか言ってて、まぁこちらはウッカリのようですが。
いずれにしても、ドライな関係っぽいですね。
2015年に発売した写真集「高杉真宙 Photo Collection METAMORPHOSIS」で女装姿を披露した高杉真宙さん。
細い!そして美しい!
女装を経験した高杉真宙さんは、
「お母さんにめっちゃ似てるんですよ。女装したらやっぱり似るんですね」
引用:モデルプレス
と語っていて、お母さんがめっちゃ美人!ということがわかりますね!
芸能界に入ったきっかけ
高杉真宙さんは小学校6年生のときに、熊本県八代で開催された花火大会でスカウトされます。
僕の地元は福岡なんですが、そのときはたまたま熊本の、いつもは行かない遠くの花火大会に行ったら、スカウトされたんです。
引用元:高杉真宙オフィシャルブログ
これが運命を変えたんですね。
当時は髪も肩まで長くて、さらにこの顔立ちですからスカウトマンは女の子と間違えていたんだとか。
この写真を見ると、兄弟みんな髪が長い。そしてイケメンの予感…
しかし花火大会でスカウトされた当初は、あまり乗り気ではなかったそう。
「ドラマや映画を見る家庭ではなかったので、俳優という仕事を全く知らず、有名な方がたくさんいる事務所の先輩も一人しか知りませんでした。だから、最初はお断りしていたんです。幼稚園の頃からレスキュー隊に憧れていましたし」
引用元:Numero TOKYO
それでも事務所は諦めずに声をかけ続け、2009年舞台『エブリ リトル シング’09』で俳優デビューしました。
初めての芝居に加えて、歌やダンスも猛特訓。舞台が終わり大きな達成感を得た高杉真宙さんでしたが、そのままお仕事を続ける気にはならなかったそうです。
しかし事務所も諦めない。
「事務所の方がずっと声をかけてくれていました。家族には、芸能活動も上京も自分で決めなさいと任されていたので、悩みに悩みました。でも事務所に説得され、最後はほぼ無理やり、みたいな(笑)」
引用元:Numero TOKYO
無理矢理なんかい!笑
しかし、諦めなかった事務所もすごいし、こんな大きな決断を自分でさせるという方針の親御さんにも驚かされます。
中学2年生で福岡から単身上京
高杉真宙さんは中学2年生で親元を離れ、東京での生活をはじめました。
「1年くらい悩みましたね。仕事をするかどうかも1年くらい悩んで、2年くらい悩んで上京しました」
引用元:モデルプレス
このときもやはり【自分で決めた(決めさせられた)】という高杉真宙さん。
中学1〜2年生の子が、単身で上京するかどうかの決断ってなかなかできませんよね。
さらに、上京したあとも親からの連絡はあまりなかったそう。
A-Studioでは「(上京当時から)連絡をしなかったことを申し訳なく思っている」という母親のメッセージもありました。
弟たちの世話で忙しかったという理由も語られていましたが、弟さんは2歳下と5歳下です。
高杉真宙さんが上京したときは、末弟でも小学校3年生ぐらい?
一般的には、そこまで手がかかるわけでもないのですよね。
放任主義というより、かなりほったらかしなのか?とも思いましたが、かつて高杉真宙さんがそんな親の教育方針をこう語っています。
うちは割と放任主義なんです。「やりたいことをやりなさい」「全部自分で決めなさい」という家庭で、親が口を出すのは高校を卒業するまでと決まっているんです。その方針が印象的ですね。この仕事をする時も、自分で決めるように言われたのですが、12~13歳の時に自分の人生を変えることを決めなきゃいけなくて…。でも、それ以来、自分なりに考えて選択しているので、「自分で考えなさい」と言われたことが今では良かったと思っています。僕も親になったら、同じようにしたいと思います。
引用元:映画board
「自分も親になったら同じようにしたい」そういう言葉が出るのは、素晴らしいですね。
徹底した放任主義ってサジ加減がすごく難しいと思うんですが。
そうやって自ら決断することを繰り返し、早くから親離れしていた高杉真宙さんだからこそ、独立してやっていこうという道が生まれたのでしょう。
事務所を退社し、個人事務所設立
2021年4月、デビューから12年間所属していた芸能事務所スウィートパワーを退社し、個人事務所を設立しました。
これまで大手事務所から独立した芸能人は、多かれ少なかれ仕事が減少するとされてきました。
のんと改名した、能年玲奈さんなんて、その最たるところです。
岡田健史さんも同じスウィートパワーだけど、裁判になってたもんね…
実は【高杉真宙】という名前も、2029年まで商標登録されているされているそうなんです。
しかし高杉真宙さんは、独立後もその名前で活動を続けられていて、仕事も順調。
他の独立芸能人と何が違うんだろう、とそこがかなり不思議なところです。
芸能界の裏の事情など分かるわけがない。
独立するにあたり「自分の人生に責任を持ちたい」と語っていました。
自分で考えて行動してきた、そんな高杉真宙さんの生き方からして、この流れは必然だったように感じますね。